中国 実施可能要件に関する判例(ペプチドの選択方法事件)

Vol.26(2015年7月21日)

中国専利法第26条第3項には、明細書には発明または実用新案について、その技術分野に属する技術者が実施することができる程度に明瞭かつ完全な説明を記載しなければならない、即ち実施可能用件が規定されている。第26条第4項には、特許請求の範囲は明細書を根拠とし、特許保護を要求する範囲を明確かつ簡潔に説明しなければならない、即ちサポート用件が規定されている。ここで、中国特許庁が専利法第26条第4項の規定違反を理由として出願を拒絶した場合、専利複審委員会は職権により係争専利が専利法第26条第3項の規定を争点として審理することができるか、明細書中の実験データの開示が充分か否か(実施可能用件を満たすか否か)。「北京市第一中級人民裁判所(2012)一中知行初字第1378号行政判決」は上記2点に関する見解を具体的に判示した。以下にその内容を紹介する。

 

【事件経緯】

「阿皮托普技術有限公司」(以下、阿皮托普)は「ペプチドの選択方法」という名称の発明について中国特許庁へ発明専利出願(以下、本出願)を行った(第01817682.8号)。中国特許庁は、請求項1~請求項12は専利法第26条第4項の規定に違反するとして拒絶査定を下した。阿皮托普はこれを不服とし専利複審委員会へ複審請求を行うも、専利複審委員会は特許請求の範囲は実施可能用件を満たさず専利法第26条第3項の規定に違反するとして、中国特許庁の拒絶査定を維持した。このため阿皮托普は北京市第一中級人民裁判所へ行政訴訟を提起したが、北京市第一中級人民裁判所も専利複審委員会の決定を維持する判決を下した。(北京市第一中級人民裁判所(2012)一中知行初字第1378号行政判決)

 

【北京市第一中級人民裁判所の見解】

  1. 専利複審委員会が職権により本出願は専利法第26条第3項の規定を満たすか否かについて審理することについて、その審理手続は合法に属する。

複審手続においては、専利複審委員会は中国特許庁が拒絶査定において依拠とした理由と証拠に対して審査を進めるのが一般的であるが、ただし拒絶査定で指摘されなかった明らかな実質的欠陥、又は拒絶査定で指摘された性質同一な欠陥を専利複審委員会が見つけた場合は、それに基づき審査を進めることができ、かつ拒絶査定を維持する決定を行うことができる。

本件において中国特許庁が拒絶査定を下した理由は、本出願の特許請求の範囲がサポート用件を満たさないため専利法第26条第4項の規定を満たさない、というものである。しかし複審手続では、専利複審委員会は本出願は実施可能用件を満たさないため専利法第26条第3項の規定を満たさない、ということを見つけた。専利複審委員会が明細書が実施可能用件を満たすか否かについて審査することは、特許請求の範囲が明細書で支持されているか否かを判断する際の前提条件である。よって専利複審委員会は本出願の明細書が専利法第26条第3項の規定を満たすか否かについて、職権により審理を行った。しかも、専利複審委員会は本出願の明細書は実施可能用件を満たさないという欠陥があることを複審通知書で出願人に明確に通知しており、さらにこれに対し意見陳述及び適切な補正の機会を出願人に与えている。然るに、出願人は本出願に存在する欠陥に対し説得力のある意見陳述や立証を行わないのみならず、補正をも行っていない。従って、専利複審委員会が本出願は専利法第26条第3項の規定を満たすか否かについて職権により審査したことについて、その審理手続に違法な点は全くない。

 

  1. 本出願の明細書では、当業者が実施することができる程度に充分な実験データが記載されていないため、専利法第26条第3項の規定を満たさない。

本出願の請求項1はペプチドの寛容性の測定方法に関するものであり、その方法には、前期ペプチドが抗原処理を行う必要なく、クラスⅠ又はクラスⅡのMHC分子と結合でき、T細胞に伝達されることができるかどうかを測定するステップが含まれる。その目的は、ペプチドが抗原処理を行う必要なく、クラスⅠ又はクラスⅡのMHC分子と結合でき、T細胞に伝達されることができるかどうかを測定する(即ちapitopeペプチドに属するか否かを判断)ことで、その寛容性を測ることにある。本出願の明細書の記載によれば、本出願は次のような理論に基づき測定が行われた。ペプチド表位が、抗原処理を経ることなく未成熟のAPCから伝達されると、この種のペプチド表位は免疫寛容性を誘導できる。上記理論は本技術分野において公知理論ではなく、当業者は既存技術に基づき当該理論が成立するか予測することができない。よって、本出願の明細書は上記理論は成立することを照明する実験データを記載するか、又は本出願の技術法案は当業者が実施可能となるような実験結果を記載しなければならない。

本出願の明細書実施例の記載内容から、実施例1MPBペプチドのうち一部の、応答を引き起こす表位元及び応答の変化状況のみに及び、どのペプチド断片が抗原処理を経ることなく未成熟のAPCから伝達されたペプチド即ちapitopesであるか、には及ばない。実施例2A,2Bでは一部のペプチド断片がapitopesに属するが、これらペプチド断片が免疫寛容性を誘導できるかどうかは証明されていない。実施例2Cでは、ペプチド87-96を用いて過敏化させる前にペプチド87-96を寛容性として用いた結果は、ペプチド87-96及びペプチド90-101の記憶応答を同時に抑制することが証明されているが、ペプチド87-96は抗原処理を経ることなく未成熟のAPCから伝達されることは証明されていない。実施例34はいずれも実験結果が示されていない。以上より、本出願明細書の実験データでは、前期ペプチドが抗原処理を行う必要なく、クラスⅠ又はクラスⅡのMHC分子と結合でき、T細胞に伝達されることができるかどうかを測定することで、それが免疫寛容性を誘導できるかどうか確認することができる、という事実を証明するに足りない。

添付1の実験データは公知技術ではなく、明細書にも記載されていないため考慮しない。したがって、本出願明細書は請求項1の技術法案について充分に開示しておらず、専利法第26条第3項の規定を満たさない。請求項2~請求項12についても同様の理由により専利法第26条第3項の規定を満たさない。

 

【本所分析及び戦略提案】

「中国専利審査指南」第二部分第十章「化学分野の発明専利出願の審査に関する若干の規定」の「3.2化学方法発明の充分な開示」では、次のように規定されている。「(1)化学方法発明については、物質の製法かその他の方法かを問わず、方法で利用される原料物質や技術上の手順、技術条件を記載しなければならない。必要な場合、方法による目的物質の性能への影響も合わせて記載することにより、その属する技術分野の技術者が説明書に記載された方法に基づいて実施する際に、当該発明で解決しようとする技術的課題が解決できるようにしなければならない」。また、第二部分第八章5.2.3.1でも「実験のデータを補入することで発明の有益な効果を説明している、及び/ 又は実施形態と実施例を補入することで、請求項で保護を請求する範囲以内に発明が実施できるということを説明している」ことは内容の追加になる補正に属し許可されない、と規定されている。そして、第二部分第十章3.4では更に「説明書で充分に公開されているか否かを判断する場合は、元説明書及び権利要求書に記載された内容を基準とする。出願日以降に補足提出された実施例や実験データは考慮しないものとする」、と明確に規定されている。

本件の場合、北京市第一中級人民裁判所は上記審査指南の諸規定を明確に実践したことがわかる。よって、出願の際に明細書中の実施方法の掲載が不十分な場合、補正によりその瑕疵を補うことはできないことになる。中国では近年専利法第26条第3項の規定違反により拒絶査定又は無効取消しとなる事例が増えている。出願人は明細書記載時は細心の注意を払わなければならない。

 


 

 

登入

登入成功