台湾 数値限定発明における補正「新規事項追加」に関する判例(半導体量子ドットによる化学反応方法事件)

Vol.80(2020年12月18日)

台湾専利法においても、明細書等に対して行う補正は、当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしなければならない、新規事項(new matter)を追加してはならないという規定が存在する。ここで専利審査基準によれば、当初明細書等に記載した事項の範囲とは、「出願時の明細書、特許請求の範囲又は図面で明確に記載(明らかに表現されている)された全ての事項、又は当該発明が属する技術分野における通常の知識を有する者が出願時の明細書、特許請求の範囲又は図面に記載された事項から直接的かつ一義的に(directly and unambiguously)知ることができるもの」とされている。

一般的に数値限定発明については他の発明に比べ、新規事項追加に関する補正の判断基準は厳しくなっている。今回取り上げる事件は審査時にされた補正が新規事項追加に該当する認定された事件1であり、台湾知的財産裁判所は本件において数値限定発明をめぐる新規事項追加に関する判断標準を分析して論じている。

事件の概要

Xは発明の名称を「非金属半導体量子ドット及びそれを用いて化学反応又はフォトルミネッセンス反応を行う方法」とする特許出願をしたところ、台湾特許庁は進歩性不備により拒絶査定を下した。本件はその取消訴訟であり、主な争点は「Xが行った補正が新規事項追加に該当するか否か」である。最終的に裁判所は「当該補正は新規事項に追加するため認められない」と認定し、Xの請求を棄却する判決を下した。

補正内容及び本願の図

本件の請求項1の補正前及び補正後の内容は次の通りである。補正内容のうち問題となったのは、「酸化グラフェン量子ドットの粒子径が2.6nmから5.4nmの間にある」へという内容である。

補正前 補正後(2019年6月19日補正)

酸化グラフェン量子ドットを含み、且つ、前記酸化グラフェン量子ドットの粒子径が0.3nmから10nmの間にあるが10nmは含まず、予め定めたエネルギーを提供する下で酸化還元対を発生させるために酸化グラフェン量子ドットを用いて配置する、半導体量子ドット。

(1)目標試料と、酸化グラフェン量子ドットを含み前記酸化グラフェン量子ドットの粒子径が2.6nmから5.4nmの間にある半導体量子ドットとを混合する工程、及び

(2)予め定めたエネルギーを前記半導体量子ドットに提供することで前記半導体量子ドットに電子正孔対を生成させ、且つ前記電子正孔対によって前記目標試料に酸化還元反応を生じさせるか、又は前記目標試料又はその周辺にある分子に活性物質を生成させて前記活性物質によって前記目標試料に酸化還元反応を生じさせる工程、 を含む、半導体量子ドットを用いて化学反応を行う方法。

 

図1a、図1b 図7e

大きさの異なるアミノ-窒素ドープ酸化グラフェン量子ドット(左から右に、直径が10、16、26、54、61、79Å)が波長365nmの紫外光照射を受けた後、青から赤の異なる色の蛍光を発光する。

紫外光エネルギーが提供された場合に、アンモニア(NH3)を分解し水素(H2)を生成する効率を示す。

出願人の主張

当該補正は出願時の明細書に記載の実施例に基づく。【0072】実施例3-2においてアミノ-窒素ドープ酸化グラフェン量子ドットの粒子径が10、16、26、54、61、79Åであることが明記されており、図面を通して光照射で生じる量子特性の差が示されている。またその製造手段も明細書【0070】から【0071】に記載されている。

「異なる材料は異なる粒子径範囲内において量子特性を示す」という台湾特許庁の主張には同意する。しかし、異なる材料が量子特性を示す粒子径範囲は一部重複するものである。また、同一の主材・酸化グラフェンから得られる酸化グラフェン量子ドットは、複数回にわたる実験の結果、いずれも特定の粒子径範囲(2.6nmから5.4nmの間)内でその量子特性を示すことが確認できる(図1b、図7e参照)。

明細書【0053】及び【0065】の内容からわかるように、本件では異なる酸化グラフェン量子ドットに対し同一の濾過膜を用いており、製造される全ての量子ドットの粒径は当然に同一となる。よって当業者であれば明細書に記載のアミノ-窒素ドープ酸化グラフェンの大きさから、他の(ドープあり又はドープ無し)酸化グラフェンの大きさを直接的かつ一義的に知ることができる。

台湾特許庁(被告)の見解

当業者は、「アミノ-窒素」ドープ酸化グラフェンの粒子径範囲から、他の酸化グラフェン(「ドープ無し」又は「アミノ-窒素以外をドープ」の酸化グラフェン)の特定粒子径を直接的かつ一義的に知ることができない。また、異なる大きさから成る顆粒は、たとえ同一の濾過膜を使用したとしても、必然的に同一の大きさの顆粒を得られるとは限らない。さらに、補正後の内容に複数の意義が含まれる場合、そのうちの1つの意義のみを取ることは、直接的かつ一義的に知り得るということには該当しない。

知的財産裁判所の見解

本件明細書【0072】段には「大きさの異なるアミノ-窒素ドープ酸化グラフェン量子ドット」の直径は『10、16、26、54、61、79Å』(1、1.6、2.6、5.4、6.1、7.9nm)であり、可視光線において薄い黄色から赤褐色の色彩の差を示す(図1a)」と開示されているに過ぎない。ここで酸化グラフェン量子ドットには「ドープ無し」、「アミノ-窒素ドープ」又は「アミノ-窒素以外の元素ドープ」の酸化グラフェンが含まれることから、「アミノ-窒素ドープ酸化グラフェン量子ドット」は酸化グラフェン量子ドットの下位概念であるに過ぎない。また、図1bに記載の粒子径は「1、1.6、2.6、5.4、6.1、7.9nm」であるが、これは補正後の「2.6nmから5.4nmの間にある」という範囲とは明らかに異なる。よって、当該補正には出願時にない事項が暗示されており、当業者は出願時の明細書、特許請求の範囲又は図面に基づいたとしても、他の酸化グラフェン量子ドット(例えば「ドープ無し」又は「アミノ-窒素以外をドープ」の酸化グラフェン)の粒子径範囲を直接的かつ一義的に知ることができない。「2.6nmから5.4nmの間にある」という範囲へと限定する補正は、下位概念の記載を上位概念化(すべての酸化グラフェン量子ドット)したものであるとも認められないことから、当業者であってもアミノ-窒素ドープ酸化グラフェンにおいて量子特性が生じる粒径範囲を、全ての酸化グラフェン量子材料の粒径範囲へと上位概念化することはできない。

また原告は次のように主張する。

「本件明細書の複数の実施例において、ドープ又はドープ無しの酸化グラフェン量子ドットの製造及び実験過程、及びKD値が100KD、30KD、10KD、5KD、3KD、2KDの孔径の異なる一連のポリエーテルスルホン膜(polyethersulfone membrane)の濃縮遠心管を用いて、大きさの異なる酸化グラフェン量子ドットを孔径の大きさに基づき分離することが明記されている。当業者はこうした実験についての記載内容から、『同一素材の濾過膜を利用し、所要の孔径で、異なる大きさ範囲のドープ及びドープ無しの酸化グラフェン量子ドットを得ることができる』ことを十分に理解できる。」

しかし、明細書記載のKDはKilo Daltonの略(MWCO、分画分子量)と思われ、原告が言うような濾過膜の孔径又は酸化グラフェン量子ドットの粒径ではない。よって、組成の異なる酸化グラフェン量子ドット(ドープ又はドープ無し)がポリエーテルスルホン膜により分画されて同一又は類似のKD値を有するものとなったとしても、その成分(元素の原子量)の相違によって分子に含まれる元素の数も異なるはずであり、これによって分子の大きさ、つまり粒子径も相違するはずである。よって、酸化グラフェンの主材が同一である点のみによって、本件における組成の異なる酸化グラフェン量子ドットがいずれも同一の粒子径大きさ又は範囲を有すると認定することはできない、と当業者であれば当然にわかる。

加えて、本願明細書において当該KD値と濾過膜孔径の対応関係が明確に開示されておらず、且つ当該対応関係は本技術分野における通常知識でもないことから、当業者からすれば、前記KD値又は不明確な濾過膜の孔径範囲に基づき本願明細書に記載の任意の「酸化グラフェン量子ドット」の粒子径がいずれも2.6nmから5.4nmの間にあることを明確に知ることは困難である。したがって、当該補正は新規事項の追加に当たる。

また、酸化グラフェン量子ドットとアミノ-窒素ドープ酸化グラフェン量子ドットは粒子径の範囲が異なることから、ある成分をドープした酸化グラフェン量子ドットの粒子径範囲によって、他の成分をドープした又はドープ無しの酸化グラフェン量子ドットの粒子径範囲を推知することは不可能であり、本願実施例で示された特定の材料成分による酸化グラフェン量子ドットの粒径範囲に基づき、補正後の任意の成分による酸化グラフェン量子ドットの特定粒径範囲を直接的かつ一義的に知ることができるとは認められない。

弊所コメント

本件において裁判所は、補正後の内容は上位概念のものであるのに対し、明細書には下位概念が記載されているに過ぎず、当業者は明細書、特許請求の範囲又は図面の内容からその上位概念化した内容を直接的かつ一義的に知ることができないことから当該補正は新規事項の追加に該当する、と認定した。また、明細書に記載の実験データも不足していることも、新規事項追加という認定に影響を与えている。

上で述べたように、台湾の審査実務では請求項に記載の「数値を変更」する補正が新規事項追加に当たるか否かの判断標準は比較的厳格である。明細書に明確に記載されていない数値範囲や上限下限等の数値を補正により請求項に追加することは認められない2。よって、補正の柔軟性を考慮し、出願時の明細書に予め好ましい数値範囲又は実施例をできる限り多く挙げることが好ましい。

また、本件において原告は補正後の内容は当業者であれば明細書等の記載内容から直接的かつ一義的に知ることができるものであるという主張を様々な角度から行っている。しかし、本願の当初明細書に記載されている背景技術、技術関連内容、実施例はいずれも不足していることから、仮に出願人が訴訟中に多数の補足資料(実験成績証明書など)を提出していたとしても、当該資料は出願時の明細書に記載されていないと裁判所に認定された可能性が高いと考えられる。よって、当該技術分野において非常に普遍的且つ一般的な内容でない限りは、発明内容や関連する技術内容について明細書で詳しく記載、説明する必要がある。説明が簡略過ぎる場合、出願人が当該技術分野における通常知識だと認識している内容であっても、審査官によってはそうではないと認定されることや、明細書等で開示された内容から直接的且つ一義的に知ることができると考えた補正内容が審査官によっては当該補正が新規事項に該当すると認定される恐れが出てくる。

代理人が明細書を作成する際は、当然ながら単に出願人や発明者から提供された資料をまとめて出願書類とすることは好ましくない。発明全体に対する理解、展開可能な実施例についての提案、技術背景に関する簡潔で明白な説明、適切なクレーム特許請求の範囲の考案等を工夫し、明細書を完成させなければならないと考えられる。

[1] 知的財産裁判所2020年行専訴字第2号

[2] 明細書に温度範囲として20℃~90℃、このうち好ましい特定温度と沿いて40℃、60℃及び80℃が記載されている場合、請求項に記載の温度範囲20℃~90℃を、40℃~80℃、60℃~80℃又は 60℃~90℃とする補正は認められる。しかし50℃~80℃や40℃~70℃とする補正は認められない。(専利審査基準2-6-12)

 

キーワード:特許 判決紹介 記載要件 台湾 化学

 

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