中国における補充実験データ、証拠の秘密保持および十分な開示に関する最新の審査実務の分析(ファイザー特許無効宣告請求事件)
Vol.158(2026年7月15日)
中国国家知識産権局は、ファイザー社(Pfizer Inc.)の有するCrizotinib結晶多形体に関する特許「c-Met/HGFR阻害剤の多形体」(特許番号:CN200680045883.1、以下「本件特許」)への無効宣告請求に対し、本件特許の有効性を維持する旨の第581892号決定を下した。本件は、2025年度専利復審・無効宣告の典型事例の一つにも選定されており、医薬品分野における補充実験データの審理基準、証拠の秘密保持、および明細書の十分な開示要件の判断について、重要な示唆を与えるものである。
本件の特許権者はファイザー・プロダクツ・インク(Pfizer Products Inc.)であり、本件特許はCrizotinibの結晶多形体に関するものである。無効宣告請求人である江蘇万邦生化医薬(Jiangsu Wanbang Biopharmaceuticals Co., Ltd.)は、本件特許が十分な開示要件、サポート要件および進歩性を満たしていないと主張し、さらに引用文献の証拠適格性および補充実験データの証明力についても疑義を呈した。
中国国家知識産権局は、最終的に本件特許の有効性を維持した。その理由の核心には、証拠の秘密保持が相手方の答弁権の保障を妨げてはならないこと、引用文献の適用基準、ならびに技術的効果の証明における補充実験データの許容性、およびその審査基準が含まれる。本決定は、中国の特許実務が医薬品・化学分野において、証拠の活用および技術的効果の認定について、比較的開放的でありながらも厳格な立場を採っていることを示すものである。
本件特許の主な技術的特徴
粉末X線回折パターンが図1に示すものと実質的に同一である、結晶性形態としての(R)-3-[1-(2,6-ジクロロ-3-フルオロフェニル)-エトキシ]-5-(1-ピペリジン-4-イル-1H-ピラゾール-4-イル)-ピリジン-2-イルアミン(以下「Crizotinib」)の遊離塩基。

本件の主な争点および中国国家知識産権局の見解
1.証拠の秘密保持と相手方の答弁権の衡量
本件においてまず争点となったのは、ファイザー社が無効宣告手続きにおいて提出した「反論証拠21」である。当該証拠は、実験の原データ、従業員の宣誓書等を含む全110頁に及ぶ資料であり、ファイザー社は、これらが営業秘密に関わるとして、秘密保持措置を講じるとともに公開範囲を制限するよう求めた。上記主張に基づき、ファイザー社は、秘密保持を前提に、無効宣告請求人が確認できるよう、秘密保持の対象外である内容の一部(例えば、14頁分の実験結果のスクリーンショット)を抽出して提出することのみを受け入れる意向を示した。
これに対し、無効宣告請求人は、「自らが取得できるのは概要および一部の抜粋資料に限られ、完全な実験の原データに対して実質的な確認および反論することができないため、答弁権および対質権が実質的に制限されることになる。よって、当該証拠は認定の基礎とされるべきではない。」と主張した。
1.1 中国国家知識産権局の見解―秘密保持は手続的正義を侵害してはならない
中国国家知識産権局は無効宣告請求人の主張を認め、「無効理由または答弁と直接関連する技術内容については、営業秘密を理由として相手方がその内容を確認し、質疑・反論する機会を完全に排除してはならず、そうでなければ手続的正義および対質権の保障に影響を及ぼす。実験の原データのうち、証明目的と直接関連する内容(すなわち、実験時期、実験過程、データ、結論および実験担当者による確認署名等)は、通常、秘密保持の対象に含まれるべきではない。秘密保持の取扱いにより証拠内容が不完全、または確認できなくなる場合には、当該証拠を提出した側が立証上の不利益を負うべきである。」と指摘した。以上から、中国国家知識産権局は最終的に反論証拠21の真正性を認めなかった。
2.医薬品発明における十分な開示の基準
無効宣告請求人は、「本件特許の明細書では、質量分析(MS)および核磁気共鳴(NMR)等の通常の分析方法によって化合物を記載しているにすぎず、化合物の絶対配置(立体配置)を特定するには不十分である。また、結晶の融点についても明確な測定方法が示されていないため、当業者であっても、DSC曲線から化合物の融点を導き出すことは困難である。」と主張した。
2.1 中国国家知識産権局の見解―改良発明について過度な特定は不要である
しかし、中国国家知識産権局は、無効宣告請求人の主張を認めなかった。中国国家知識産権局は、「改良発明について、出願人に対し、最も基礎的な化合物合成の原理をはじめとして、関連し得る製造上の詳細および生成物確認資料のすべてを逐一補充することを求めるならば、明細書の内容が過度に複雑かつ膨大となり、技術的重点から逸脱することになる。また、このような要求は、審査機関および公衆による発明の技術的本質の理解に寄与するものではなく、かえって開示のハードルを不当に高め、当業者が既存の知識および技術的判断能力を合理的に活用することを妨げるおそれがある。」と指摘した。
さらに、中国国家知識産権局は、「証拠1~4で示された既存の研究基盤に照らせば、ファイザー社はCrizotinibおよびその関連類似化合物の製造および特定について相当程度の研究を蓄積しており、さらには活性試験の結果も提供していた。このような状況において、なお当該化合物を合理的に取得または再現することができないと主張するのであれば、通常、その主張を裏付ける、より具体的かつ的確な理由および証拠を提出する必要がある。」と指摘した。
3.進歩性判断における補充実験データの採否および証明力
本件の争点は、Crizotinibが最も近い先行技術(証拠8で開示されている化合物I-426)に対して進歩性を有するか否かにあり、特許権者が無効宣告請求に対して提出した補充実験データ(反論証拠22)を採用すべきか否か、およびその証明力をどのように評価すべきかが論点となった。
| 本件特許のCrizotinib | 証拠8の化合物I-426 |
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3.1 中国国家知識産権局によるデータ比較の基本原則
中国国家知識産権局はまず、「進歩性判断の過程において、各技術的効果の比較は、比較可能な実験基盤に基づいて行われるべきである。異なるデータが異なる実験方法または試験方法に由来する場合、通常、それらの数値を直接比較することは困難である。」と指摘した。
3.2 特許手続きにおける補充実験データの正当性
ファイザー社が提出した反論証拠22の補充実験データを採用すべきか否かについて、中国国家知識産権局は、「最も近い先行技術は通常、特許審査またはその後の手続きにおいて、初めて確定されるものである。よって、特許権者が、指定された期限内に補充実験を行い、最も近い先行技術に対して自らの発明が奏する技術的効果を証明することは、正当な立証方法である。したがって、当該実験が特許権者自身により実施されたものであるという理由だけで、その証拠価値を直ちに否定することはできず、実験過程および結果の内容自体をさらに審査すべきである。」と指摘した。
3.3 証拠の採用および進歩性に関する最終判断
さらに証拠の評価について、中国国家知識産権局は、反論証拠22に示された実験結果は相互に裏付け合うものであり、無効宣告請求人もその信用性を揺るがすに足りる反論証拠を提出できていないと判断した。結果として、中国国家知識産権局は反論証拠22を採用し、これに基づき、Crizotinibはc-Metキナーゼ阻害活性においてより優れた効果を有すると認定した。
中国国家知識産権局は最終的に反論証拠22の補充実験データを採用し、本件特許の化合物Crizotinibが、より高いc-Metキナーゼ阻害活性を有する化合物を提供するという技術的課題を実際に解決したと認定した。さらに、証拠8では、当業者が関連する置換基を意識的に選択し、または化合物I-426に特定の構造改変を加えることにより、より高いc-Metキナーゼ阻害活性が得られることに対する明確な示唆は示されていないとして、本件特許は進歩性を有すると判断した。
1.補充実験データの採用基準および審査上のポイント
中国国家知識産権局は、本件において、補充実験データの採用基準を明らかにした。本件からは、中国の特許実務がこの点について比較的開かれた態度を採っていることがうかがえる。すなわち、最も近い先行技術が審査または無効宣告手続きにおいて初めて確定された場合、特許権者が後続の手続きにおいて補充実験データを提出し、最も近い先行技術に対して自らの発明が奏する技術的効果を証明することは、原則として受け入れられる余地がある。
しかしながら、中国国家知識産権局は、上記対応により、証拠の信用性に対する要求を緩和したわけではない。むしろ、実験過程、データの出所、および各結果の間に整合性があるかをさらに検討し、その信用性を覆すに足りる反論証拠が存在するか否かを総合的に判断している。
2.核心的な技術内容に関する証拠の秘密保持上の制限
証拠の秘密保持について、特許の有効性判断に関わる核心的な技術内容については、原則として、営業秘密を理由に相手方への開示を拒むことはできない。これを拒んだ場合、立証が不十分であることによる不利益を負う可能性がある。
3.化学分野の改良発明における十分な開示の全体的判断
十分な開示の判断について、中国国家知識産権局は、化学分野の改良発明については、先行技術の背景および当業者の通常の知識を踏まえて全体的に判断すべきであるとした。また、明細書において、教科書のようにすべての基礎的な合成方法および構造確認データを段階的に開示する必要はなく、当業者がそれに基づいて発明を実施できるのであれば、開示の程度について過度に厳格な要求を課すべきではないとの見解を示した。






