台湾 拡大先願に係る「直接置換」要件及び進歩性に係る「簡単な変更」要件の判断に関する指標的判例(液晶媒体事件)

Vol.150(2025年6月12日)

台湾の知的財産及び商事裁判所は、近時の「液晶媒体および液晶ディスプレイ」に関する特許の無効審判事件(知的財産及び商事裁判所2024年度行専訴字第17号判決)において、拡大先願特有の「直接置換」要件及びその適用方法について詳しく説明した。また、直接置換の可否の判断基準で重要なポイントについて、比較の対象は「相違点である技術的特徴自体」が持つ機能であり、「置換後の発明全体」が持つ機能ではないと明確に述べている。この見解は極めて重要であり、出願人は十分に注意を払う必要がある。さらに、本件判決では進歩性判断における「相違点である技術的特徴が当業者による簡単な調整で容易に完成できるか否か」の判断に関しても重要な見解を示しており、特許出願及び係争実務において参考価値を有する。

事件経緯

 

Merck Patent GmbH(ドイツ企業・メルク パテント ゲーエムベーハー)は、台湾特許第I537366号「液晶媒体および液晶ディスプレイ」(以下、本件特許という)の特許権者(原告)である。匿名の無効審判請求人が本件特許に対して無効審判を請求した後、原告は訂正請求書を提出した。これを台湾特許庁が審理した結果、訂正を認めたものの、本件特許の請求項2、7~8及び10について、拡大先願及び進歩性の規定に違反する1と判断し、請求認容審決を下した。

原告は当該審決を不服として訴願を提起したが、台湾経済部により棄却されたため、さらに行政訴訟を提起した。

本件は知的財産及び商事裁判所による審理を経て、2024年度行専訴字第17号判決が下され、その判決において本件特許が拡大先願及び進歩性の規定に違反すると認定され、請求認容審決を維持する判断が示された。

本件特許の技術内容

 

訂正後の本件特許請求項2は独立項であり、以下の内容が記載されている。

液晶媒体であって、
 式I(注12)で表される誘電的に中性の化合物を含む、誘電的に中性の成分である成分A、および
 温度20℃、周波数1kHzで決定した3より大の誘電異方性を有する1種または複数種の式IIおよびIII(注23の群から選択される誘電的に正の化合物を含む、誘電的に正の成分である成分B、を含むこと、および、
 前記媒体中の前記成分Aの濃度が、35%〜60%の範囲であり、
 前記媒体中の前記成分Bの濃度が、25%〜45%の範囲であり、
 ただし、附表一~附表四の液晶媒体(1)~(4)は除外することを特徴とする、前記液晶媒体。

  • 証拠1実施例5において、本件特許請求項2に係る発明が開示されており、相違点は成分Aの含有量のみである。証拠1当該実施例では32%と開示されており、これは本件特許請求項2で特定される35~60%の範囲をわずかに下回る。
  • 証拠2において、本件特許請求項2に係る発明が開示されており、相違点は成分A及び成分Bの含有量のみである。

無効審判請求人は本件特許請求項2について、証拠1に基づき、拡大先願違反を証明し、証拠2に基づき、進歩性欠如を証明した。

裁判所の見解

 

一、 証拠1実施例5に基づき、本件特許請求項2の拡大先願違反を証明できる

 

(一) 証拠1実施例5と本件特許請求項2との相違点は、通常の知識により直接置換できる技術的特徴である

上記の成分Aの含有量の差異に関して、裁判所は、以下のように認定した。

証拠1明細書第41頁の最終段落において、「化合物(5-1)(即ち、成分Aに対応)の好ましい割合は、組成物の粘度を下げるために11%以上であり、下限温度を下げるために50%以下である。…」と具体的に開示されている。これにより、証拠1の式(5-1)で表される化合物の媒体中の濃度は11~50%(当該実施例に示される式(5-1)で表される化合物の媒体中の濃度が「32%」となる場合を含む)に設定されており、当該濃度により「組成物の粘度を下げる、下限温度を下げる」という機能が発揮されることを確認できる。

さらに、当業者であれば、通常の知識に基づき、式(5-1)で表される化合物の濃度が「35%」などの他の数値であっても、当該化合物が発揮する機能には影響を与えないことを理解できるため、証拠1の当該実施例における式(5-1)で表される化合物の含有量について、機能の同一性による直接置換が可能である

 

(二) 原告は、証拠1実施例5と本件特許請求項2との相違点が、単に式(5-1)で表される化合物の含有量を「32%」から「35%」へ置換することだけではないのは、含有量の合計が103%となるような仮想的な組成物は実際に存在し得ないためであると主張した。しかし、審理の結果、以下の指摘事項が挙げられる。

証拠1実施例5の液晶組成物において、V-HH-3(即ち、式(5-1)で表される化合物)の用量を調整し、液晶組成物中のV-HH-3濃度(即ち、V-HH-3の用量÷液晶組成物の総重量)を35%とする際、組成物中のV-HH-3以外のその他化合物成分の用量は変わらないが、液晶組成物の総重量が増加することにより、それらの濃度は必然的に元の数値よりも低くなる。最終的に、各成分の濃度の合計は依然として100%であり、原告が主張する103%にはならない。

 

(三) 原告は、証拠1には「35%のV-HH-3」という具体的な記載がなく、且つ被告(台湾特許庁)が「35%のV-HH-3」の使用が通常の知識であることを立証していないと主張した。しかし、審理の結果、以下の指摘事項が挙げられる。

原処分は、「当業者であれば、通常の知識に基づき(機能の同一性による)直接置換ができる」との理由により、本件特許請求項2などの請求項が拡大先願の規定に違反すると認定した。そのため、証拠1に「35%のV-HH-3」が明確に記載されているか否か、及び、証拠1の記載内容が上位概念に該当し、下位概念の新規性に影響を与えないか否かなどは、本件における主要な争点ではない。

証拠1実施例5と本件特許請求項2との相違点が、通常の知識により直接置換できる技術的特徴であるか否かを判断する際には、まず、当該技術的特徴が証拠1においてどのような機能を持つのかを明確にし、その上で、それらの機能に基づき、「相違点である技術的特徴が、同一の機能を持ち且つ通常の知識により直接置換できるものであるか否か」を考慮する必要がある。よって、直接置換の判断において、証拠1に記載の技術内容を参酌してはならないというわけではないことは明らかである。

 

(四) 原告は、原処分では式(5-1)で表される化合物の証拠1実施例5における機能には、「液晶媒体全体」に付与される特定の物性も含まれることが考慮されていないと主張した。しかし、審理の結果、以下の指摘事項が挙げられる。

直接置換の判断において重要となるのは、「証拠1中の相違点である技術的特徴が持つ機能」であり、「置換後の発明全体の結果」における異同ではない。証拠1において、式(5-1)で表される化合物が粘度の低下及び下限温度の低下の機能を持つと明示されているものの、当該相違点である技術的特徴が液晶媒体全体の性質に何らかの影響・結果を与えることについての具体的な記載がないことから、原処分が「粘度の低下、下限温度の低下」などの機能に基づいて直接置換の可否を判断したことは、十分妥当であるといえ、置換後の全体的な技術的手段の効果の違いをさらに考慮する必要はない。

 

二、 証拠2に基づき、本件特許請求項2の進歩性欠如を証明できる

 

(一) 本件特許に係る成分A及び成分Bの含有量範囲は、当業者が簡単な試験によって容易に完成できるものである。

審理の結果、実際の応用上の必要性(例えば、応答時間の短縮など)に応じて液晶媒体の成分組成(例えば、化合物の種類や含有量など)を適切に調整することは、関連技術分野における習知の慣用技術的手段であり、さらに、証拠2明細書第28~29頁、第32頁において、以下の技術的特徴が具体的に開示されている。

「全体としての混合物中の式II〜Xで表される化合物の比率は、20〜70重量%、好ましくは…。式Iで表される化合物およびII+III+IV+V+VI+VII+VIII+IX+Xで表される化合物の最適な混合比率は、実質的に、所望の特性、…に依存する。」

「全体としての混合物中の式XI…で表される化合物の比率は、5〜70重量%、好ましくは…。」

そして、当業者は、証拠2で開示された技術内容に基づき、当該液晶組成物の性質(例えば、応答時間の短縮など)を向上させるために成分組成の調整を試み、簡単な試験(例えば、式Ⅱ、IV、X、XIなどの成分組成の最適化試験)を実施することで、本件特許請求項2に係る発明を容易に完成し得る。また、先行技術に対して、何らかの予期せぬ顕著な効果の向上又は新たな効果が奏されると認められないため、本件特許請求項2に係る発明は、当業者が証拠2の技術内容に基づいて容易に完成できるものである。

 

(二) 原告は、証拠2には特定の指針が提供されておらず、仮に当業者が証拠2の内容を参考にした場合、他の調整方法を採用するのが自然であり、本件特許請求項2で特定される範囲からさらに離れるはずであるため、原処分における「当業者には上記範囲に調整する動機付けがある」という判断は後知恵に基づくものであると主張した。また、本件特許請求項2について、証拠2との比較において「進歩性を否定する要素」が存在しない以上、現行の専利審査基準の規定に従えば、当該請求項は進歩性を有すると判断すべきであると主張した。しかし、審理の結果、以下の指摘事項が挙げられる。

  1. 証拠2が本件特許請求項2の進歩性欠如を裏付けるものである理由は、以下の通りである。
    原処分はまず、本件特許請求項2と証拠2実施例18との相違点が「成分A及びBの含有量」という技術的特徴であることを明確にし、そして、当業者が特定の課題である「液晶組成物の性質向上(例えば、応答時間の短縮など)」を解決する際に、出願時の通常の知識(例えば、日常的な業務や実験を実施する一般的な能力により行われる簡単な試験)を利用し、証拠2中の相違点である技術的特徴を簡単に修飾・置換することで、本件特許請求項2に係る発明を容易に完成できる、と認定した。このような認定方法は、「進歩性を否定する要素」とされる「簡単な変更」(日本では「設計事項」という)の判断に該当する。
  2. さらに、証拠2において、その液晶組成物が同時に極めて低い回転粘度γ₁および比較的高い光学異方性値△nを有し、応答時間の短縮を達成できること、成分組成を調整することでその性質を調整可能であること、及び液晶混合物中の各成分(複数の成分の合計を含む)の含有量割合の範囲などの技術内容が開示されている。これにより、証拠2において、上記の簡単な変更についての明確な示唆や教示が含まれていると認定できるため、進歩性を否定する要素の有無を判断する際の重要な要素となる。
  3. 原告は、証拠2には「Ⅱ+IV+X及びⅪ」の特定の化合物の組み合わせの用量調整に関する技術的指針が提供されていないと主張したが、液晶媒体の技術分野において、既知の組成及び特性を有する液晶媒体に対し、組成成分の含有量を調整し、適切な性質を持つものを選択することは、通常行われる標準的な試験手法である。
  4. 原告は、証拠2の一部の内容に基づき「合理的な修飾方法」を提示し、その結果得られる液晶媒体が本件特許請求項2で特定される要件を満たさないことは明らかであると主張したが、原告が推測するいわゆる「合理的な修飾方法」は、当業者が採用し得る唯一の技術的選択肢ではない。

 

(三) 原告は、乙証5に基づき、本件特許請求項2に係る発明が先行技術に対して応答時間の短縮という有利な効果を示すことを証明できると主張した。しかし、審理の結果、以下の指摘事項が挙げられる。

  1. 原告は、乙証5に基づき、「液晶媒体が液晶ディスプレイに使用される場合、その液晶ディスプレイの応答時間の長短への影響は『γ₁/(K₂₂×△n²)』によって評価できる」と主張した。しかし、液晶媒体の性質において応答時間に影響を与える要因には、液晶層の厚さ(d)などの他の変数も含まれるため、上記の関係式(他の変数により生じる影響が考慮されていない関係式)のみでは、液晶組成物の応答時間を示すことは困難である。
  2. 原告は、甲証3に記載のデータにおいて、本件特許実施例2、本件特許実施例14及び証拠2実施例18における液晶組成物のγ₁/(K₂₂×△n²)の値が、それぞれ1136、960及び1355mPa•s/pNであり、さらにそれらの液晶組成物の応答時間の実測値が、それぞれ6ms、5ms及び7msであることが示されていることから、γ₁/(K₂₂×△n²)と応答時間が正比例の関係にあるとし、γ₁/(K₂₂×△n²)による予測が実験測定値と一致するなどと主張した。しかし、乙証5実施例1によれば、γ₁/△n²≦1.0×10⁴mPa•sであり、K₂₂が5.5 pNであるため、計算するとγ₁/(K₂₂×△n²)≦1811となり、応答時間の実測値は14msとなる。これらの乙証5で示された結果を甲証3の内容と比較すると、液晶組成物のγ₁/(K₂₂×△n²)と応答時間との間には、一定の倍数関係がなく、必ずしも正比例の関係になるとは限らないことが分かる。そのため、γ₁/(K₂₂×△n²)だけを基に、本件特許及びその他の文献に記載された液晶組成物の応答時間の優劣を評価することはできない。
  3. たとえ「γ₁/(K₂₂×△n²)」を用いて液晶組成物の応答時間を予測するとしても、本件特許と証拠に示された応答時間の優劣の評価において、類似した△ε、閾値電圧(V₁₀)及び飽和電圧(V₉₀)という比較基礎の前提がなければ、比較可能性がなく、先行技術に対する本件特許に係る液晶媒体の性能の優劣を評価することはできない。そのため、原告が提出した、乙証6などの証拠に示された応答時間の比較のうち、採用できるのは本件特許実施例14及び証拠2の特定の実施例(即ち、実施例18)の比較結果のみである。一方、本件特許がその他の先行技術(証拠2の他の実施例や証拠3、証拠4など)のいずれに対しても応答時間の短縮という有利な効果を奏するか否かについては、原告が主張する「比較基礎が同一で比較可能なデータ」による裏付けがないため、先行技術に対する本件特許に係る液晶媒体の性能の優劣を評価することはできない。したがって、原告が提出した証拠において、本件特許が先行技術に対して有利な効果を確かに奏することが十分に示されているとは認め難い。
弊所コメント
 
本件判決は、拡大先願及び進歩性に係る要件の規定や具体的な案件における適用方法について、非常に詳細な説明と解釈を示しており、注目に値する。
 
拡大先願違反の判断において、本件では「通常の知識により直接置換できる技術的特徴のみに差異が存在する場合」という、使用されることが少ない要件規定が採用された。
 
具体的には、台湾専利法第23条及び2023年版専利審査基準第2篇第3章第2.6.4節の規定によれば、拡大先願とは、後願の特許出願に係る発明が、後願より先に出願され、後願の出願後に公開された先願に係る発明の内容と同一である場合、特許を取得することができない規定を指す。ここでいう「内容が同一」の判断基準として、「新規性の判断基準」である(1)完全に同一である場合、(2)文字の記載形式又は直接的且つ一義的に知ることができる技術的特徴のみに差異が存在する場合、(3)対応する技術的特徴の上位、下位概念のみに差異が存在する場合の他に、(4)通常の知識により直接置換できる技術的特徴のみに差異が存在する場合も含まれる。
 
この「(4)通常の知識により直接置換できる技術的特徴のみに差異が存在する場合」の要件をどのように判断するかについて、審査基準では以下のように説明されている。
例えば、引用文献において「固定部品」としてネジが記載されており、当該ネジが引用文献の技術的手段の中で「固定」及び「緩めることが可能」という機能を持っていればよい場合、ボルトも当該2つの機能を持つため、特許出願に係る発明が単に引用文献のネジをボルトに置換したものである場合、これは通常の知識に基づく直接置換に該当する。
 
本件は、上記要件を具体的にどのように適用するかを示した事例である。本件判決では、本件特許と証拠1の間に技術的特徴の相違点が存在するが、証拠1において当該相違点に対応する機能は「下限温度の低下、組成物の粘度の低下」であり、たとえ当該相違点である技術的特徴を置換したとしても、上記機能には影響を与えないため、当該相違点である技術的特徴は当業者によって直接置換できるものであると指摘された。この判断方法は、上記審査基準の規定と一致している。
 
さらに、裁判所は、直接置換の可否を判断する際の重要なポイントを明確にし、判断の焦点は「相違点である技術的特徴自体」が持つ機能であり、「置換後の発明全体」が持つ機能ではないとした。この見解は、化学分野の発明において特に重要である。なぜなら、化学発明では一般的に一成分の変更が化学物質全体に影響を及ぼすからである。しかし、本件判決の明確な判決理由によれば、拡大先願の判断において、化学物質全体の変化は、当業者が特定の成分を直接置換できるか否かの判断要点として考慮されない。この見解は極めて重要であり、出願人は十分に留意すべきである。
 
進歩性の判断に関して、裁判所は改めて、「数値限定の選択発明」においては、十分な実施例及び比較例をもって、それらの選択が奏する効果を証明する必要があることを強調した。無効審判段階では、出願段階と比較して、提出されるデータの完全性に対する要求がより厳格になる可能性があるほか、データの科学的厳密性についても、極めて細かい審理が行われる可能性がある。
 
本件判決では、データに対して技術的に厳密な審理がなされている。特許権者は選択した範囲の効果を証明するための実験データを提出していたが、それらに対して「当該データと効果の検証に用いられた計算式が、絶対的かつ直接的な相関性を有しているか否か」、「選択された範囲の特徴以外に、その他の変数が存在しないか否か」及び「比較しようとする証拠の効果が、実験段階で確かに同一の実験前提及び条件を採用し検証されたものであるか否か」という点が検討され、最終的に裁判所は当該データが本件特許の有利な効果を証明できないと認定し、特許権者が敗訴する結果となった。
 

[1] 無効審判請求人は、訂正後の請求項2、7~8及び10のみに対して無効審判を請求し、それ以外の請求項については無効審判請求を行わなかった。

[2]

[3
式中、
R2およびR3は、互いに独立して、1~7個のC原子を有するアルキルまたはアルコキシ、2~7個のC原子を有するアルケニル、アルケニルオキシまたはアルコキシアルキルであり、
からは、互いに独立して、または、であり、
L21、L22、L31およびL32は、互いに独立して、HまたはFであり、
X2およびX3は、互いに独立して、ハロゲン、1~3個のC原子を有するハロゲン化アルキルもしくはアルコキシ、または2~3個のC原子を有するハロゲン化アルケニルもしくはアルケニルオキシであり、
Z3は、-CH2CH2-、-CF2CF2-、-COO-、トランス-CH=CH-、トランス-CF=CF-、-CH2O-または単結合であり、そしてl、m、nおよびoは、互いに独立して、0または1である。

 

 

购物车

登入

登入成功