台湾 化学物質群内の特定物質の限定が開示の範囲を超える訂正となるか否かの判断に関する判例(液晶組成物無効審判事件)

Vol.143(2024年6月27日)

 特許明細書において、化学物質群が複数種類の化学物質から選択されてもよいとの開示があり、その上で請求項に記載の当該化学物質群の訂正を行う場合、当該化学物質群を明細書で開示されている当該複数種類の化学物質中の特定物質を含むように減縮訂正することは、特許請求の範囲の減縮に該当する。しかし、台湾特許庁、知的財産及び商事裁判所、最高行政裁判所で近時に審理された液晶組成物無効審判事件において、明細書に限定後の物質群についての特別な説明又は具体的な実施例の記載等がない場合、当業者は特許明細書に基づき、請求項に記載された化学物質群に当該特定物質が「必然的に含まれる」ことを直接的且つ一義的に知り得ないため、当該一連の訂正は特許出願時の明細書、特許請求の範囲及び図面の範囲を超えるものであり、認めるべきではない、との見解が示された。

1.事件経緯

某日本企業(原告)は、台湾特許第I452122号「液晶組成物」(以下、本件特許)の特許権者である。某ドイツ特許会社(無効審判請求人、行政訴訟参加人)は、本件特許が新規性、進歩性、明確性等の規定を満たしていないことを理由に、本件特許に対して無効審判を請求した。当該権利紛争の間、特許権者は訂正後の特許請求の範囲を7回提出し、本件特許請求項の訂正請求を行った。

しかし、台湾特許庁は審理の結果、特許権者により提出された訂正後の特許請求の範囲は当初の開示範囲を超えるものであると判断し、当該訂正を認めず、本件特許を無効とする旨の審決を下した。特許権者は当該審決を不服として、訴願を提起したが棄却された。当該処分に対して、特許権者は行政訴訟を提起したが、知的財産及び商事裁判所、最高行政裁判所はいずれも原処分及び訴願決定を維持する判決を下した。(知的財産及び商事裁判所109(2020)年度行専訴字第41号判決、最高行政裁判所111(2022)年度上字第491号判決)

2.本件特許請求項9に係る訂正について

本件特許は液晶組成物及び当該液晶組成物を用いた液晶表示素子を提供するものであり、特許権者は無効審判手続き中に本件特許請求項9の訂正請求を行った。

 

本件特許請求項9は請求項1~8の引用形式クレームである。特許権者は、第7版目となる訂正後の特許請求の範囲において、公告時の請求項1における液晶組成物の全ての技術的特徴を本請求項の液晶表示素子の技術的特徴として明記し、且つ、一般式(I)、(II-1)について更なる特定を行った。

 

第7版目の訂正後の特許請求の範囲において、本件特許請求項9の液晶組成物は以下のように記載されている。

「…前記液晶組成物は、
一般式(I)で表される化合物を30~50質量%含有し、
(式中、R1及びR2はそれぞれ独立して、炭素原子数1~8のアルキル基、炭素原子数2~8のアルケニル基、炭素原子数1~8のアルコキシ基又は炭素原子数2~8のアルケニルオキシ基を表し、Aは1,4-フェニレン基又はトランス-1,4-シクロヘキシレン基を表す。)
一般式(II-1)で表される化合物を5~20質量%含有し、
(式中、R3は炭素原子数1~8のアルキル基又は炭素原子数1~8のアルコキシ基を表し、R4は炭素原子数1~8のアルキル基又は炭素原子数1~8のアルコキシ基を表す。)
 
一般式(I)において、一般式(Ia)で表される化合物(式中、R1a及びR2aはそれぞれ独立して、炭素原子数2又は3のアルキル基を表す)を含有し
(本件特許明細書に記載の一般式(Ia))
一般式(II-1)において、一般式(II-Ia)で表される化合物(式中、R3aは、炭素原子数3のアルキル基を表し、R4aは、炭素原子数2のアルキル基を表す)を含有する
(本件特許明細書に記載の一般式(II-Ia))
ことを特徴とする液晶表示素子。」
 

特許権者は上記の2つの技術的特徴の訂正の根拠について、それぞれ以下のように説明している。

(1) 本件特許明細書第11頁第7行の「一般式(I)で表される化合物は具体的には次に記載する一般式(Ia)~一般式(Ik)で表される化合物が好ましい。…」という記載、及び第9頁第25行~第10頁第8行の「一般式(I)において、R1及びR2はそれぞれ独立して、…、炭素原子数2~3のアルキル基が更に好ましい。」という記載。

(2) 本件特許明細書第12頁第21行~第13頁第9行の「一般式(II-1)で表される化合物は具体的には次に記載する一般式(II-1a)及び一般式(II-1b)で表される化合物が好ましい。…一般式(II-1a)においてR3は、一般式(II-1)における同様の実施態様が好ましい。R4aは…、炭素原子数2のアルキル基が特に好ましい。」という記載、及び第12頁第2段落の「一般式(II-1)において、R3は…、炭素原子数3のアルキル基を表すことが特に好ましい。」という記載。

3.知的財産及び商事裁判所並びに最高行政裁判所の見解

知的財産及び商事裁判所並びに最高行政裁判所はいずれも、以下の理由により、本件特許に係る上記訂正は、出願時の明細書、特許請求の範囲及び図面で開示された範囲を超えるものであり、専利法第67条第2項の規定を満たさないと認定した。

 

(1) 本件特許明細書第11頁第7~22行の「一般式(I)で表される化合物は具体的には次に記載する一般式(Ia)~一般式(Ik)で表される化合物が好ましい。…」という記載は、一般式(I)に該当する異なる態様を挙げているため、当業者であれば異なる技術的需要に基づき、様々な選択ができる。しかし、訂正後の特許請求の範囲では請求項9に係る液晶組成物を「一般式(I)において、一般式(Ia)で表される化合物を『含有』する」と訂正している。前記訂正中の「含有」という語句は開放式の接続詞であるため、一般式(Ia)の化合物の他にも、請求項に記載されていない他の一般式(I)の化合物を含有し得るが、本件特許明細書において、液晶組成物中の「一般式(I)において、一般式(Ia)で表される化合物を必ず含有する」ことについての内容は明確に開示されていない。且つ、当業者は本件特許明細書第11頁を参酌することで、一般式(I)の化合物は一般式(Ia)~一般式(Ik)の各種態様であるのが好ましいことを知り得るため、本件特許明細書第9頁の「本発明における液晶組成物において、一般式(I)で表される化合物を30~50%含有する」という記載から、上記訂正請求請求項9の「一般式(I)において、一般式(Ia)で表される化合物を必ず『含有』する」という訂正内容を直接的且つ一義的に知り得ない。

(2) 同様に、訂正後の特許請求の範囲では請求項9に係る液晶組成物を「一般式(II-1)において、一般式(II-1a)で表される化合物を『含有』する」と訂正しているが、本件特許明細書には「一般式(II-1)において、一般式(II-1a)で表される化合物を必ず『含有』する」ことについて明確な開示はなく、当業者であっても、上記訂正請求請求項9の「一般式(II-1)において、一般式(II-1a)で表される化合物を必ず『含有』する」という訂正内容を直接的且つ一義的に知り得ない。

(3) また、本件特許権者は他の特許事例(原告により提出された証拠7、台湾特許第I433910号)を提示し、当該特許に対し行った請求項1の補正、すなわち、当該請求項に係る液晶媒体にはCC-3-V化合物及びCCY-3-03化合物、CCY-4-02化合物の1つ又は2つが含有されることを更に限定した補正は、台湾特許庁により認めれているため、本件においても同様の認定がなされるべきである云々と主張した。しかし、審査段階において上記補正が認められたのは、補正後の内容が証拠7の特許明細書に明記されていたからであり、且つ、当該明細書第12~31頁で開示されている好ましい実施例に「含有」される成分 の種類(例:CC-3-V、CCY-3-03及びCCY-4-02)に関する内容を総合的に確認したところ、いずれもCC-3-V化合物及びCCY-3-03化合物、CCY-4-02化合物の1つ又は2つを「含有」してもよいと記載されていたからである。

弊所コメント
 本件の審理において、台湾特許庁及び裁判所は、訂正の適法性について、従来よりも厳格な見解を示しており、出願人は特に注意を払う必要がある。
 
 本件において特許権者は、請求項中の化学物質群について、明細書に記載されている各群の選択可能な物質に基づき、請求項の化学物質群を明細書に記載された特定物質を含むように減縮する訂正請求を行った。当該物質の限定を確認するかぎり、特許権者の訂正請求は特許請求の範囲の減縮に該当し、実質上公告時の特許請求の範囲を拡張するものではないため、一見すると台湾専利法第67条1の規定に違反していないように思われる。
 
 しかし、台湾特許庁、知的財産及び商事裁判所並びに最高行政裁判所はいずれも、本件特許明細書の文言上の意味について、当業者であっても、明細書の記載から各化学物質群が当該限定された特定物質を「必然的に含有する」ことを直接的且つ一義的に知り得ない、つまり特許権者が、訂正内容が出願時の明細書、特許請求の範囲又は図面で開示された範囲から導かれるものであることを証明できないため、訂正を認めるべきでないと認定した。
 
 台湾専利審査基準の規定及び過去の実務と比較すると、今回の判決では訂正の適法性について厳格な認定が下されている。弊所の分析では、裁判所のこれらの見解は欧州特許庁の審査実務と極めて類似している。
 
 具体的には、特許権者は請求項の群A(物質a1、a2、a3…から選ばれる)及び群B(物質b1、b2、b3…から選ばれる)を、群A(物質a1を含有する)及び群B(物質b1を含有する)という特定の組成に減縮訂正しているが、これは実質的にマーカッシュ形式の化学物質群を群内の特定の実施態様に限定する訂正である。このような限定に関して、欧州特許審査基準 H部 第V章 3.3では、限定が特定の特徴の特定の組合せをもたらさない場合は、通常、補正の要件を満たすと規定されている。反対に、限定が特定の特徴の特定の組合せをもたらし、且つ、明細書でこのような特定の組合せについての指針が示されていない場合には、開示の範囲を超える補正となる。
 
 以上から裁判所は、本件特許明細書において、限定後の物質群についての特別な説明又は具体的な実施例の記載がなかったため、これらの訂正が本件特許の公告時の特許請求の範囲を減縮するものであったとしても、このような特徴の特定の組合せは、当業者が出願時の本件特許明細書から直接的且つ一義的に知り得ず、本件特許の出願時の開示範囲を超えるものであるため、当該訂正は認めるべきではないと認定した。
 
 この他に、本件は訂正の判断に関するものであるが、特許出願の補正においても同様に出願時の開示範囲を超える補正は認められない。よって、特許出願段階においても、本件のような補正が認められないのか否かについて、今後の実務動向を観察していく必要がある。しかし、上記のような実務上の見解に対応するため、出願人は、明細書を作成する際に、「好ましい」、「更に好ましい」等の文言で群内の特定の組成を表現しておくことを推奨する。これにより今後の補正又は訂正の際に、好ましい態様に基づくマーカッシュ形式の化学物質群の具体的な物質による限定が認められる確率を高めることができると考える。
 

[1] 台湾専利法第67条:

特許権者は、次の各号のいずれかの事項についてのみ、特許明細書、特許請求の範囲又は図面の訂正を請求することができる。
1.請求項の削除
2.特許請求の範囲の減縮
3.誤記又は誤訳の訂正
4.明瞭でない記載の釈明
訂正は、誤訳の訂正を除き、出願時の明細書、特許請求の範囲又は図面に開示されている範囲を超えてはならない。
第25条第3項の規定により、外国語書面で明細書、特許請求の範囲及び図面を提出した場合、その誤訳の訂正は、出願時の外国語書面により開示されている範囲を超えてはならない。
訂正は、実質上公告時の特許請求の範囲を拡張又は変更してはならない。

 

 

 

 

 

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