先行技術に記載された効果が劣っている比較例の進歩性判断への影響に関する判例分析(薄ゲージの定圧縮率弾性繊維からなる高強度繊維及びその製造方法事件)

Vol.138(2024年1月26日)

台湾特許実務において、阻害要因という主張が認められることは少ない。先行技術において、特定の技術的特徴の採用を明確に除外する記載がある場合に限り、先行技術に阻害要因が存在することが認められる。しかし、先行技術の明細書において、係争発明と関連する技術内容が、効果が比較的劣っている比較例に示されている場合、当該比較例に阻害要因が存在するという主張の代わりに、当業者には当該比較例を基に、更に改良を加えることで係争発明を完成させる動機がないと主張することは認められるだろうか。

この点について、台湾知的財産及び商事裁判所は最近、「米ルーブリゾール・アドバンスト・マテリアルズ有限会社v台湾BASF株式会社」の特許無効審判事件(知的財産及び商事裁判所111(2022)年行専訴字第22号判決)において、最新の見解を示した。同裁判所は、進歩性の有無は、当業者が先行技術の技術内容に基づき本件発明を容易に完成できるか否かで判断すべきであり、引用された先行技術や技術手段が失敗例、実施例、又は比較例であるか否かと必ずしも関係しているとは限らないと表明した。

事件経緯

米ルーブリゾール・アドバンスト・マテリアルズ有限会社(原告)は、第I523980号台湾特許「薄ゲージの定圧縮率弾性繊維からなる高強度繊維及びその製造方法」(以下、本件特許)の特許権者である。台湾BASF株式会社(無効審判請求人、行政訴訟参加人)は、2019年7月4日に本件特許に対し無効審判を請求した。台湾特許庁は、「請求項1~9、11~16について、無効審判請求を認容し、特許権を取り消すべきである」と、「請求項10、17~19について、無効審判請求を棄却する」との審決を下した。

原告は、原処分の請求認容の部分を不服とし、訴願を提起したが、訴願委員会により棄却された。その後、原告は更に行政訴訟を提起したが、知的財産及び商事裁判所による審理の結果、請求項1~9及び11~16は進歩性を有しないと再び認定され、無効審判請求が認容され、訴願決定が維持された(知的財産及び商事裁判所111(2022)年行専訴字第22号判決)。

本件特許請求項1と証拠2の技術解析

本件特許は、少なくとも400%の限界伸び率を有し、100%から200%伸び率の間の負荷及び除荷サイクル時に比較的平らな、かつ/又は、一定のモジュラスを有する薄ゲージ、定圧縮率、高強度繊維を提供する。

本件特許請求項1において、以下の内容が記載されている。

本架橋された熱可塑性ポリウレタンから作製される溶融紡糸された弾性繊維であって、該繊維は、少なくとも400%の限界伸び率を有し、且つ、負荷サイクルにおいて、

①100%伸び率で1デニールあたり0.023重力グラム未満、

②150%伸び率で1デニールあたり0.036重力グラム未満、

③200%伸び率で1デニールあたり0.053重力グラム未満の応力値を示し、

該溶融紡糸された弾性繊維は、除荷サイクルにおいて、

①200%伸び率で1デニールあたり0.027重力グラム未満、

150%伸び率で1デニールあたり0.018重力グラム未満、

100%伸び率で1デニールあたり0.015重力グラム未満の応力値を示し、

該熱可塑性ポリウレタンは、

(a)500から10,000までの数平均分子量を有する直鎖ヒドロキシル末端ポリエステルと、

(b)ポリイソシアネートと、

(c)2個から10個までの炭素原子を有するグリコール鎖延長剤とを含む混合物から調製される、繊維。

 

証拠2は、第1639026 B1号ヨーロッパ特許「Melt spun polyether tpu fibers having mixed polyols and process(ポリオールを混合した溶融紡糸ポリエーテルTPU繊維及びプロセス)」である。証拠2は、繊維が破断するまでの長い実行時間を達成しつつ、TPU繊維を溶融紡糸するための高分子量ポリエーテルヒドロキシル末端中間体から製造された熱可塑性物質(TPU)を使用可能にすることを目的とする。

証拠2の実施例6は比較例であり、本件特許請求項1の主な技術的特徴を開示している。証拠2の実施例6と本件特許請求項1に係る発明の相違点は、以下の二点のみである。

  証拠2実施例6 本件特許請求項1
(1)除荷サイクルにおける、150%伸び率での1デニールあたりの応力値 0.018重力グラム 0.018重力グラム未満
(2)除荷サイクルにおける、100%伸び率での1デニールあたりの応力値 0.015重力グラム 0.015重力グラム未満

しかし、両者で示されている応力値は、極めて近いものである。

証拠2の実施例5は実施例である。証拠2の実施例5と本件特許請求項1に係る発明の相違点は、以下の二点のみである。

  1. 証拠2の実施例5では、本件特許請求項1の除荷サイクルにおける応力値が直接に開示されていない。
  2. 証拠2の実施例5では、ポリエステル中間体の代わりに、ポリエーテル中間体を使用してTPU(即ち、本件特許請求項1の熱可塑性ポリウレタン)を合成した。つまり、証拠2の実施例5では、本件特許請求項1の直鎖ヒドロキシル末端ポリエステルが開示されていない

本件の争点

上記より、本件の争点は以下の通りである。

  1. 先行技術の比較例は、本件特許が進歩性を有しない証拠になり得るか。即ち、当業者には、先行技術に記載の効果が劣っている比較例を採用し、更に改良を加えることで本件発明を完成させる動機があるか否か
  2. 当業者には、先行技術の実施例及び比較例を参考し、これらを組み合わせることにより本件発明を完成させる動機があるか否か。

知的財産及び商事裁判所の見解

  1. 証拠2の実施例6のTPUは本件特許の発明の目的に反するか否かについて

原告は、以下の通りに主張した。

「証拠2の実施例6は比較例である。証拠2明細書において、実施例6のTPUはポリエステル繊維の染色サイクルに耐えることができないことと、その耐熱性は、ポリエステル繊維と配合して弾性繊維を製造するには、許容できないほどに低かったことが開示されている。そのため、証拠2の実施例6は、本件特許の発明の目的である衣類を作ることに反しており、請求項1の保護対象である『溶融紡糸された弾性繊維』に該当しない。」

これに対し、裁判所は以下の通りに認定した。

証拠2明細書【0053】において、その繊維は下着やスポーツウェア等の織物の製造に用いることができると明記されている。当業者は前記繊維で製造した衣料品はある程度の快適性を備えることが理解できるため、証拠2は本件特許の発明の目的に沿わない、又は反すると認定するのは難しい。

また、本件特許請求項1で限定されている保護対象は「溶融紡糸された弾性繊維」で、前記繊維はポリエステル繊維との配合により形成された弾性繊維であるという限定はされていないため、TPU繊維のみで形成された弾性繊維は除外されておらず、証拠2の実施例6は本件特許請求項1の保護対象に該当しないとも言い難い。

 

  1. 証拠2の実施例6には、本件発明についての阻害要因があるか否かについて

原告は、以下の通りに主張した。

「証拠2の実施例6に係るTPUは染色できず、無染色織物は応用市場があるはずがないため、当業者は実施例6は証拠2における唯一の徹底的に失敗した実施例であることが理解でき、染色も応用もできない実施例6を選択し、改良する動機がない。したがって、実施例6は、本件発明を完成させる阻害要因となる。」

これに対し、裁判所は以下の通りに認定した。

  1. 証拠2明細書【0075】の記載によれば、その本意は実施例6に係るTPUがポリエステル繊維を染色する際の「130℃で60分間」という特定の条件でのサイクル操作に耐えられないことに過ぎない。また、染料を使用していないため、無染色織物は織物表面の染料によるアレルギーや、染色プロセスに由来する廃棄物処理等の環境問題を減少させることができ、敏感肌であるユーザーや環境意識の高い消費者などを引き付ける可能性が高い。

したがって、前記実施例6に係るTPUは、市場での応用性がないため、当業者により改良開発できる対象として見なされないことは必然であるとも言い難く、実施例6に阻害要因が存在すると認定するのは難しい。

  1. 更に、発明が進歩性を有するか否かに関する判断は、当業者が先行技術の技術内容に基づき本件発明を容易に完成できるか否かで判断すべきであり、引用された先行技術や技術手段が失敗例、実施例、又は比較例であるか否かと必ずしも関係しているとは限らない。前記先行技術で開示されている内容にまだ開発する余地や発展可能性があり、当業者はそれを改良する動機があれば、前記先行技術は再創作(イノベーション)の起点となる可能性があるため、ある発明が進歩性を有するか否かを判断する基礎となり得る。

 

  1. 証拠2の実施例5に基づき本件発明を完成できるか否かについて

原告は、以下の通りに主張した。

「証拠2の実施例5と、本件特許の前記請求項で限定されている発明との相違点は、少なくとも繊維の材料(ポリエーテル中間体又はポリエステル中間体)、除荷サイクルにおける応力値等があるため、当業者は前記実施例5に係るTPUに基づき、本件特許のような発明を完成できない。」

これに対し、裁判所は以下の通りに認定した。

証拠2明細書【0004】において、その繊維はポリエーテル中間体又はポリエステル中間体を含有する原料を反応させることで製造でき、TPUの性質を向上させるのに使用できると具体的に明記されている。また、前記証拠の実施例1~6を比較すると、前記実施例6に使用される原料はポリエーテル中間体を含有していないのに対し、実施例1~5はいずれもポリエーテル中間体を含有しており、且つポリエステル繊維の染色サイクルに耐えることができることが分かる。よって、同一の証拠において、前記TPUの性質を向上させるために、ポリエーテル中間体とポリエステル中間体との混合物を反応原料とする等の方法を採用できるという示唆または教示が存在している

したがって、前記実施例6で開示されているTPUの応用性を向上させるために、当業者には、TPUの性質向上のため、ポリエーテル中間体及びポリエステル中間体を含有する原料を使用する試みを行う動機があり、実際の需要に応じて過度の実験を要することなく容易に本件特許請求項1で限定されているような発明を完成できる。

 

  1. 証拠2の実施例6は、進歩性に関する判断の基礎に適するか否かについて

原告は、以下の通りに主張した。

「訴願決定において、本件特許請求項1が進歩性を有しない証拠は、証拠2の実施例5であるため、実施例6は進歩性に関する判断の基礎に適さないと黙認されていることは明らかである。」

これに対し、裁判所は以下の通りに認定した。

原告が主張している内容について、訴願決定書における関連論述は、前記実施例6は失敗した比較例であるが、当業者は前記証拠の実施例1~6で開示されている技術内容に基づき、本件特許で限定されているような発明を完成できるという意味である。

また、上記の通り、実施例5と本件特許請求項1で限定されている発明の主な相違点は、実施例5に係る繊維の原料成分はポリエステル中間体を含有していないことである。しかし、証拠2において、ポリエーテル中間体とポリエステル中間体との混合物を原料とする方法を採用できることが具体的に開示されており、且つ当業者であれば証拠2で開示されている内容から、TPU繊維の成分組成やプロセスの操作条件を調整・制御することにより、その性質を適切に調整できることが分かる。したがって、当業者は前記証拠2で開示されている実施例1~6のような先行技術の内容に基づき、本件特許請求項1に係る発明を容易に完成できる。

弊所コメント
  1. 阻害要因の認否について

台湾専利審査基準によれば、先行技術において、ある技術的特徴を「明確に除外する」記載がある場合に限り、前記先行技術には特許出願に対する阻害要因が存在することが認められる。

台湾特許実務において、阻害要因という主張が認められることは極めて少ない。台湾専利審査基準第二篇第三章「阻害要因」の節1において、下記の通りに記載されている。

「阻害要因とは、出願に係る発明を排除する示唆又は教示に関する内容が関連引用文献において明確に記載されているか実質的に暗示されていることを指す」

また、下記の具体例が挙げられている。

「例えば、特許出願に係る発明がエポキシ樹脂プリント基板材料であり、先行技術においてポリアミド樹脂プリント基板材料が開示されており、さらにエポキシ樹脂材料は安定性及び可撓性を有するが、ポリアミド樹脂材料に比べ劣ることが開示されている。これより、先行技術の実質内容ではエポキシ樹脂をプリント基板材料として用いてはならないとは記載されていない。即ち、先行技術の実質内容によれば、特許出願に係る発明を排除する示唆又は教示は記載されていないため、当該先行文献には特許出願の発明に対する阻害要因は存在しない。」

したがって、先行技術において、ある材料が明確に排除されていないか、又は前記材料がある用途には使用できないことが記載されていない場合、現在の台湾特許実務においては、阻害要因という主張が認められることは極めて難しいと考えられる。

本件の場合、証拠2の実施例6においては、そのTPUはポリエステル繊維を染色する際の「130℃で60分間」という条件でのサイクル操作に耐えることができないため、ポリエステル繊維と配合して織物を製作することに適さないと記載されているが、実施例6に係るTPUが織物に応用できないという記載はされていない。よって、裁判所が指摘した通り、実施例6に係るTPUは織物として応用される可能性、例えば無染色織物とされる可能性等がまだたくさんある。しかも、実施例6に係るTPUには、例えば比較的平らな応力値曲線を有するといったその他の利点がある。

したがって、本件の状況は、前記審査基準で挙げられた例とかなり類似しており、原告の阻害要因に関する主張が裁判所に採用されるのは難しいと考えられる。

 

  1. 先行技術の比較例は特許が進歩性を有しない証拠になり得るか否かについて

阻害要因の主張が難しいのであれば、次の問題は、先行技術の比較例は特許が進歩性を有しない証拠になり得るか否か、即ち、当業者には先行技術における効果が比較的劣っている比較例を参考する動機があるか否かとなる。

この点について、まず、発明は通常、ある特定の技術的課題を解決するために開発・改良されたものである。つまり、特許において、比較例は、このような例が当該発明の解決しようとする課題に対し効果が劣っていることを説明するために記載されていることがある。実際のところ、当該比較例は、前記課題とは異なるその他の課題に対する開発において可能性や利点、ひいてはより良い効果がある可能性がある。よって、先行技術において比較例として記載されているからと言って、当該例は本件特許が進歩性を有しない証拠にはなれないと判断してはならない

言い替えると、比較例は特許が進歩性を有しない証拠になり得るか否かについては、「当業者には、先行技術の全体的な記載に基づきその比較例を改良する動機があるか否か」という点をもとに実質的な考慮・判断をすべきである。例えば、先行技術において、当該発明の解決しようとする課題とは異なるその他の課題に関する示唆があるか否か、又はその比較例は、他の側面の性質において優れた効果やより良い効果を奏することが実質的に示されているか否かを考慮すべきである。

本件において、もし証拠2の実施例6と本件特許請求項1の技術手段の間に大差があり、且つ証拠2において、実施例6が何らかの優れた効果を有する記載がされておらず、本件特許が解決しようとする課題に関する示唆もない場合、当業者に証拠2の実施例6を改良する動機があるとは言い難いと考える。

しかし実際のところ、証拠2の実施例6で開示されている内容と本件特許請求項1の内容は実質的にほぼ一致しており、かつ証拠2の実施例6は「証拠2自身が解決しようとする課題」に対し効果が劣っているが、その他の技術的課題(比較的平らな応力値曲線)に対し優れた効果を有し、しかもこの効果は本件特許が解決しようとする課題との間に共通性がある。よって、当業者には証拠2の実施例6に基づき本件発明を完成させる動機があると言える。

更に言うと、証拠2の実施例5を進歩性欠如の証拠とした場合においても、証拠2の実施例5と本件特許請求項1との主な相違点は、証拠2の実施例5においてポリエーテル中間体が使用されていることであるが、証拠2において、ポリエーテル中間体とポリエステル中間体との混合物を使用する示唆がある。したがって、裁判所は、当業者であれば証拠2の実施例5に基づき、ポリエステル中間体を更に添加することにより本件発明を完成できるため、本件特許請求項1は進歩性を有しないと証明できると認定している。

[1]2023年版台湾専利審査基準第二篇第三章3.4.2.1「阻害要因」

 

 

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