台湾 特許権者提出の鑑定報告書の証拠能力及び立証責任分配の原則の適用が争われた事例(ドロスピレノン-エチニルエストラジオール医薬組成物事件)

Vol.84(2020年2月20日)

台湾の特許権侵害訴訟では日本同様に、被告が原告の特許発明を実施していること(被疑侵害品が原告の特許発明の技術的範囲に属すること)は、原告に立証責任がある。これは台湾民事訴訟法第277条の「立証責任分配の原則」の規定(自己に有利な事実を主張する者は、その事実について立証責任を負う。ただし、法律に別段の定めがある場合、又はその状況により公平を失する場合は、この限りでない)に基づく。

この侵害の立証責任に関し、台湾専利法では特許権者(原告)が訴訟で正式な鑑定報告書を提出しなければならないとは規定されていない。実務上も裁判所は原告に対し鑑定報告書の提出を求めることはないが、侵害行為立証のために自発的に鑑定報告書を提出することは可能である。2020年秋に判決が下された独バイエル(Bayer)と台湾Lotus pharmaceutical(美時化学製薬)との間の特許権侵害訴訟事件では、原告から提出された鑑定報告書の対象が被疑侵害品とは完全に同一ものではなかったため、裁判所は当該鑑定報告書の証拠能力を否定し、最終的に原告敗訴の判決を下した。以下に紹介する1

事件の概要

独バイエル(Bayer PharmaAktiengesellschaft、原告、以下「独Bayer」)は、発明の名称「避妊薬としての使用への薬学組成物」(I276436号、本件特許)の特許権者である。独Bayerは、台湾Lotus pharmaceutical(美時化学製薬)、以下「台湾Lotus」)による医薬品「愛薇膜衣錠3mg/0.02mg」(以下、被疑侵害品)の輸入、販売行為は本件特許権侵害に当たるとして訴訟を提起した。最終的に知的財産裁判所は、被告の行為は特許権侵害を構成しないと判断し、原告敗訴の判決を下した。

本件発明の内容及び主な争点

本件特許請求項1に係る発明の内容は以下の通りである。

「組成物の投与の際、2mg〜4mgの1日投与量に対応する量の第1活性剤としてのドロスピレノン(drospirenone)と、

0.01mg〜0.05mgの1日投与量に対応する量の第2活性剤としてのエチニルエストラジオールと、

一種以上の薬剤学的に許容な担体又は賦形剤とを含み、

前記ドロスピレノンは微細化形態である、又は溶液として不活性担体の粒子上に噴霧されている、排卵を阻止するための薬学組成物。」

本件の争点の1つは、独Bayerが提出した鑑定報告書(原証10)によって、被疑侵害品は本件発明の技術的範囲に属することが証明されるか、である。ここで当該鑑定報告書は、独Bayerと台湾Lotusの別の訴訟 (以下、別件訴訟)において用いられた鑑定報告書である、即ち鑑定報告書の鑑定対象は本件の被疑侵害品「愛薇膜衣錠(3.0mgドロスピレノン/0.02mgエチニルエストラジオール)」ではなく、別件訴訟における被疑侵害品「愛己膜衣錠(3.0mgドロスピレノン/0.03mgエチニルエストラジオール)3.0mg/0.03mg」であった。

独Bayerの主張

台湾Lotusは書状において、「本件の被疑侵害品『愛薇膜衣錠』と別件訴訟での被疑侵害品『愛己膜衣錠』の活性成分はいずれもドロスピレノン及びエチニルエストラジオールで全く同一である」と認めている。そして鑑定報告書によれば、本件の被疑侵害品『愛薇膜衣錠』とエチニルエストラジオールの含有量のみが異なる別件訴訟での被疑侵害品『愛己膜衣錠』は、微細化状態のドロスピレノンを含有することが証明されている。これより、本件の被疑侵害品『愛薇膜衣錠』も微細化状態のドロスピレノンを含有することがわかる。

被疑侵害品の添付文書によると、Drospirenone錠(すなわちドロスピレノン)錠剤の絶対生物学的利用能(absolute bioavailability)は約76%であり、これは本件特許明細書の「ドロスピレノンの絶対生物学的利用能は、8人の若い健康な女性にドロスピレノン2mgを経口投与した後は76%±13%」という記載と一致する。被疑侵害品のメーカーが出願した特許において、「ドロスピレノンを微細化状態にしなくても『界面活性剤ポリソルベート80(Polysorbate 80)』を製剤に添加することで迅速な溶解という目的を達成することができる」ことが示されており、被疑侵害品も界面活性剤ポリソルベート80(Polysorbate 80)によりドロスピレノンを迅速に溶解させてはいるが、溶解度の効果は微細化には及ばない。よって被疑侵害品の賦形剤の組成では迅速な溶解という効果は到底達しえず、被疑侵害品は微細化ドロスピレノンという方法を採用しなければ、本件特許を基に製造された新薬「悦姿錠」のドロスピレノンと同等の生物学的利用能(76%)を得ることはできない。

知的財産裁判所の見解

鑑定報告書の証拠能力について

鑑定報告書の鑑定対象は「愛己膜衣錠」であり、形式上は被疑侵害品「愛薇膜衣錠」を対象としていない。

Lotus社の答弁内容からわかることは、被疑侵害品と別件訴訟の「愛己膜衣錠」は同一の活性成分(ドロスピレノンとエチニルエストラジオール)を有し、両者のドロスピレノンの含有量は同一、エチニルエストラジオールの含有量が相違するという点のみである。ここで、本件で提出された鑑定報告書は、製造工程(崩壊剤と填料を混ぜ合わせた後にドロスピレノンを加えて粒子を形成し、乾燥、研磨、混合、打錠を行う)を経てすでに錠剤化されたものを対象としている。つまりこの鑑定結果からは、愛己膜衣錠の状態を確認することはできるが、被疑侵害品の状態を推認することはできない。したがって、鑑定の対象が愛己膜衣錠である鑑定報告書によって、本件被疑侵害品の状態を認定することはできない。

民事訴訟法第277条前段には、「自己に有利な事実を主張する者は、その事実について立証責任を負う。」と規定されており、これは立証責任の分配原則である。そして特殊な状況においてこの原則を貫くと当事者に明らかに公平を失する場合は、この原則の制限を受けない(同条ただし書の規定「ただし、法律に別段の定めがある場合、又はその状況により公平を失する場合は、この限りでない」)。このただし書の規定を適用するか否かに関しては、各事件における訴訟類型特性、要証事実の性質、当事者能力、財力の不平等、証拠が当事者の一方に偏在しているか、証拠収集の困難性等の要素を考慮して、認定しなければならない。

よって本件においても、被疑侵害品が本件発明の技術的範囲に属するという事実は、特別な場合を除き原告である独Bayer社が立証責任を負う。本件発明の「前記ドロスピレノンは微細化形態である、又は溶液として不活性担体の粒子上に噴霧されている」という特徴について、原告は別件訴訟で用いた鑑定報告書により、被疑侵害品も当該特徴を有すると主張している。しかし当該鑑定報告書によって、本件被疑侵害品の状態を認定することはできないことは述べた通りであり、被疑侵害品が微細化形態であることを被告が否認した場合には、これを覆すためには原告が鑑定報告等の証拠を挙げて主張を行わなければならない。しかし、独Bayerは「被疑侵害品の検査・鑑定には数百万台湾ドルの費用がかかるため、裁判所は民事訴訟法第277条のただし書の規定に基づき立証責任の調整を図るべきである」と主張する。このような主張は立証責任回避のきらいがある上、同条ただし書における「当事者に明らかに公平を失する」という状況にも当てはまらない。また独Bayerは世界的に著名な老舗製薬企業であり、豊かな財力及び高度な医学専門能力を有していることは明白であるため、「当事者能力、財力不平等による立証責任分配の調整」は必要なく、被疑侵害品は広く一般に販売されているものであり、証拠が一方に偏っているという情況も存在しないことから、民事訴訟法第277条ただし書の規定は適用する余地はない。

被疑侵害品が本件発明の技術的範囲(微細化形態のドロスピレノン)に属するか否かについて

本件特許の明細書の内容によれば、「本件発明の主要な技術内容は、薬学組成物(例えば錠剤)を製造するために微細化されたドロスピレノン原料薬を提供することで、当該組成物におけるドロスピレノンの溶解速度を速めることである」ということを当業者であれば理解できる。ここで被疑侵害品の絶対生物学的利用能(absolute bioavailability)は約76%であり、被疑侵害品と本件発明の薬学組成物(例えば錠剤)は類似する生物学的利用能を有するが、ドロスピレノンの生物的学利用能に影響を与える要素は、ドロスピレノンの粒径が本件発明のような「微細化形態」であるか否かのみではなく、被疑侵害品における賦形剤の調合(成分及び重量%)や製造工程なども、挙げることができる。したがって、被疑侵害品中におけるドロスピレノンの生物的学利用能の判断は、被疑侵害品の全体、つまり被疑侵害品の製造工程及び調合が被疑侵害品全体に賦与する特性によって判断しなければならない。独Bayerの主張は被疑侵害品の界面活性剤(Polysorbate 80)のみに着目し、被疑侵害品の添付文書に記載されているその他の賦形剤では上記生物学的利用能を達成することはできないと述べるが、新薬メーカー及び後発医薬品メーカーは独自の開発技術を守るため、薬品の製造工程や賦形剤の成分、割合等に関する情報の全てを医薬品の添付文書に記載するとは限らない。業界大手である原告独Bayer社であればこの点を認識しているはずであるにもかかわらず、「微細化技術に取って代わるその他の技術がないことは紛れもない事実である」という主張は、被疑侵害品に対する全体的観察を欠いた推論に過ぎない。したがって、原告の主張は採用することはできない。

弊所コメント

本事件において、原告が提出した鑑定報告書は本件被疑侵害品を対象としたものではなく、被疑侵害品と同一の活性成分を有しドロスピレノンの含有量は同一である「別の薬品」を対象としたものであったことから、裁判所は当該鑑定書の証拠能力を否定し、最終的に原告敗訴という結論に至っている。

原告である独Bayerは、「立証責任はしっかり果たしている、被疑侵害品の鑑定報告書の作成には数百万台湾ドルかかるとして立証責任分配の調整が必要である」と主張した。しかし裁判所は、世界的に著名な製薬企業の独Bayerが豊かな財力及び高い医学的専門能力を有していることは明白であり、当事者の能力及び財力が不平等という理由によって立証責任分配の調整をする必要はなく、独Bayer社は立証責任を怠ったと認定している。

本件において裁判所は、特許権者の立証責任に関し、鑑定報告書の作成費用が高額であるという理由では立証責任が軽減されることはなく、製薬企業の財力は豊富であるのだから特許権者はより厳格な立証責任を負うべきであるという見解を示している。今後もこのような判断の傾向が続くのかどうか、継続して注視すべきである。

[1] 知的財産裁判所2020年度民専訴字第11号。

キーワード:台湾 特許 新規性、進歩性 判決紹介 化学  医薬 侵害

 

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