台湾 裁判所がバイエル(Bayer)の抗がん剤ネクサバール®の特許を無効と判断(Bayer v. Synmosa)

Vol.102(2021年12月16日)

2021年11月30日、知的財産及び商事裁判所は台湾のパテントリンケージ訴訟史上初となる後発医薬品メーカーによるParagraph IV声明(パラグラフ IV声明、当該新薬に対応する特許権は無効となるべき又は申請に係る後発医薬品は当該新薬に対応する特許権を侵害しない旨の声明)の主張を認める判決を下した(知的財産及び商事裁判所2021年民専訴字第8号)。弊所所長・弁護士・弁理士の黄瑞賢は本件被告である後発医薬品メーカー健喬信元(Synmosa Biopharma Corporation)の依頼を受け代理人として協力し、原告である特許権者独バイエル(Bayer)に対してANDA訴訟で全面勝訴を勝ち取ることに成功した。

本件は2019年8月20日に台湾でパテントリンケージ制度が正式に施行されて以降、ANDA訴訟において後発医薬品メーカーに勝訴判決が下された初の事件である(パテントリンケージ制度の詳細はWisdomニュースVol.63を参照1)。さらに裁判所による本件訴訟の審理中、もう1社の後発医薬品メーカー(LOTUS PHARMACEUTICAL CO., LTD.)が本件特許に対してParagraph IV声明を主張したこともあり、本件の判決結果には各界から大きな注目が寄せられていた。

本件では、Bayerのソラフェニブトシル酸塩結晶形に係る特許(第I382016号特許、以下「本件特許016」)及びその医薬組成物に係る特許(第I324928号特許、以下「本件特許928」)の有効性が争われた。裁判所はBayerの当該特許2件について、全ての請求項(計26項)は無効であると認定し、Bayerによる提訴を棄却した。本件の判決を受け、Synmosaは薬事法の規定により、進行肝癌患者に対して用いられる分子標的治療薬「蕾沙瓦膜衣錠(ネクサバール錠)」における1年間の独占販売権を獲得した。

現在、世界的に著名な製薬メーカーの中には、基礎となる医薬品化合物の特許権が失効した後もなお、その関連医薬品市場を維持するため、通常前記化合物の各種結晶形や薬物製剤について特許出願を行い、前記化合物特許の保護期間を別の形で延長しているが、本件もまさにこのケースに当てはまる。今回裁判所は、化合物の結晶形に関する進歩性の判断基準について初めて具体的な見解を示しており、本件は指標的な意義を具えている。このほか裁判所は、製薬技術関連の数値限定発明に係る進歩性の判断基準(薬物導入率、微粒子化粒子径、補助剤の組成や比率など)、有利な効果の判断基準、商業的成功に関する証拠の採用などについても詳細に論述しており、判決文は計130ページにも及ぶ。本件は今後の医薬関連特許訴訟にとって非常に参考価値の高い事件となると思われ、以下に本判決の要点を紹介する。

本件特許の技術的特徴

本件特許016

請求項1

(1A)式(I)化合物(ソラフェニブトシル酸塩)

LINE CAST

(1B)X線回折において2シータ角のピーク最大値4.4、13.2、14.8、16.7、17.9、20.1、20.5、20.8、21.5及び22.9を示す、結晶多形Iの式(I)の化合物。

請求項2~3

結晶多形Iが有する特定のIRスペクトル、ラマンスペクトルの数値的特徴で限定している。

請求項4~6

異なる再結晶(Recrystallization)方法、具体的には不活性溶媒(請求項4~5)、溶解結晶(請求項6:特定の加熱・冷却条件)により、結晶多形Ⅱの式(I)の化合物を結晶多形Iに変換する、請求項1に記載の結晶多形Iの製造方法。

請求項7~15

請求項1に記載の結晶多形Iの医薬的用途及びその組成物。

本件特許928

請求項1

(1A)組成物の少なくとも55重量%の分量の活性物質を含有する(高薬物導入率の特徴);

(1B)前記活性物質はソラフェニブトシル酸塩である(活性物質の特徴);

(1C)充填剤、崩壊剤、結合剤、滑沢剤及び界面活性剤からなる群から選択される少なくとも1種の医薬的に許容し得る賦形剤を含む(賦形剤の特徴);

(1D)前記組成物は錠剤である(剤形の特徴)。

請求項2

組成物の少なくとも75重量%の分量の活性物質を含有する(請求項1(1A)の更なる限定)。

請求項3

少なくとも80%のソラフェニブトシル酸塩が結晶多形Iの形で存在している(請求項1(1B)の更なる限定)。

請求項4~5

特定の分量と種類の賦形剤を含む(請求項1(1C)の更なる限定)。

請求項6

該錠剤は即時放出錠剤剤形である(請求項1(1D)の更なる限定)。

請求項7~8

活性物質は微粉化され、微粉化形態が0.5ないし10μmの平均粒径を有する(請求項1(1B)の更なる限定)。

請求項9

組成物の水含有量、他の薬剤との組み合わせ、その組成物の医薬用途。

知的財産裁判所の見解

熱力学的安定性を具える結晶多形Iの式(I)化合物の進歩性について

本件特許016明細書【背景技術】において、式(I)化合物(ソラフェニブトシル酸塩)は被証1(WO 03/068228)で言及されていることが記載されていることから、本件特許016の式(I)化合物(ソラフェニブトシル酸塩)は先行文献で開示されている。これらの相違点は被証1において「該結晶多形Iの式(I)化合物がX線回折において特定の2シータ角のピーク最大値を示すこと」という技術的特徴が開示されていない点である。

本件特許016明細書において、本発明は薬剤製造時の望ましくない結晶転移による溶解度と生物学的利用能への影響を避けるために、熱力学的に安定した結晶多形Iの式(I)化合物を提供するとの記載がある。また被証2、3、29、30、31のいずれにおいても、当業者であれば熱力学的安定性を目的として適切な結晶形を選択できると開示されている。さらに本分野の当業者であれば、薬物活性成分の結晶多形現象は普遍的に存在するものだと理解しているはずである。よって、当業者は被証2、3、29、30、31の内容を参考に、慣行的実験(再結晶試験又は自動結晶化シュミレーションシステム)を通じ、熱力学的に安定した結晶多形Iを具える式(I)化合物を生成し、一般的なX線回折分析を用いて前記結晶多形Iの式(I)化合物の特徴的数値を得る、合理的な動機を十分に有する。

よって、熱力学的安定性を具える結晶多形Iの式(I)化合物は、先行技術に対して予期できぬ効果を奏さず、進歩性を有さない。

機械的応力安定性を具える結晶多形Iの式(I)化合物が予期せぬ効果を奏さない理由

Bayerは本件特許016に係る発明が機械的応力安定性を具えると主張し、訴訟段階において実験データ補充のため医師2名の宣誓書(原証31、32)を提出している。また専門家による鑑定書も提出し、専門家を承認として当人を駐ドイツ台北代表処に召喚し、ビデオ会議により証言を得た。

しかし、薬物の活性物質(有効成分)である原薬を微粒子化する工程において、機械的応力の影響を受け、多結晶形活性物質の態様は準安定なものから安定なものへと転換する。よって当業者であれば、熱力学的安定性を具える多結晶形物質がより優れた機械的応力安定性を具えること、両者は本質的に同じで正の相関関係にあることを合理的に予期できる。

また専門家の供述において研磨条件(研磨方法、研磨時間、研磨温度、研磨速度など)に関する明確な証言はされていない。前記研磨条件は研磨状況の下で多結晶形が非晶質体へ転換するか否かに大きく関係していることから、専門家の証言は採用に値しない。

本件特許016請求項4~6(溶解結晶、不活性溶媒等)について

本件特許016請求項4~6は、結晶形の製造方法(溶融結晶、不活性溶媒による結晶転移、種結晶)に係る発明である。

しかし本件特許016明細書には、上記製造方法が他の結晶形の製造方法に比べ予期せぬ効果を奏する旨を証明する実施例及び比較例が示されていない。また、請求項6における「融解結晶」工程の融解点、冷却温度、加熱速度、冷却速度に対し関連数値限定がされているが、「融解結晶」工程はすでに先行技術で開示されている。たとえ先行技術において関連数値限定が具体的に開示されていなくとも、本件特許016明細書には請求項4~6に記載の技術的特徴が先行技術と相違し予期せぬ効果を奏する旨を合理的に証明する内容(実施例や比較例など)が示されていないため、上記請求項に係る発明の進歩性を証明することはできない。実際、本件特許016と先行技術で開示されている数値は僅かに異なるものの、当業者であれば先行技術の内容に基づき、簡単な実験を通じ完成することができ、そこから得られる効果も予期し得る。よって、本件特許016請求項4~6は進歩性を具えない。

本件特許016請求項9(有効成分に占める安定形結晶の比率)について

本件特許016請求項9において、「医薬組成物における結晶多形Iの式(I)の化合物の純度が90%以上である」とあるが、薬物の有効成分である原薬の本来の品質を維持し、治療効果を発揮するよう、化合物に占める安定形結晶の比率を上げ、薬物の安定性を高めることは、本分野の通常知識である。よって本請求項に係る発明は、当業者であれば慣行的実験を通じ、容易に完成することができる。

本件特許928請求項1に記載の高薬物導入率の特徴について

本件特許928請求項1に係る発明は、少なくとも55重量%のソラフェニブトシル酸塩(高薬物導入率)及び少なくとも1種の医薬的に許容できる賦形剤(補助剤)を含む錠剤型医薬組成物である。上記を除く本請求項に記載の技術的特徴はすでに先行技術で開示されており、また本分野の一般常識である。錠剤におけるソラフェニブ濃度の具体的な値(55重量%)は先行技術で開示されていない。Bayerは薬物を高濃度で含有する錠剤は圧縮性やプロセス安定性などの問題が存在するため、薬剤安定性・硬度・放出時間などの特性を考慮せず単にソラフェニブの濃度を上げるだけでは成功しない、と主張する。しかし、先行技術においてソラフェニブを用いた高用量治療の必要性が示されており、当業者であれば服薬コンプライアンス低下の問題を避けるため、1錠あたりのソラフェニブ濃度を高める動機を有する。また本件特許928明細書において、錠剤中のソラフェニブ濃度が特定の値(55%)である場合に予期せぬ効果を奏することを証明する実施例や比較例が示されていないほか、前記値は当業者が医薬組成物の有効性を向上させるために行う慣行的実験を通じ、簡単な変更を行うことで得ることができる。

本件特許928請求項4~9に記載の特徴(剤型の選択、微粉化粒径、副材料の組成や配合比)について

本件特許928請求項4~5では補助剤の組成と比率、請求項6では即時放出錠剤の剤形、請求項7~8では微粒子化剤形及び微粒子化粒子径、請求項9では医薬組成物の水含有量について開示されている。しかし、剤形の選択、微粒子化粒子径、補助剤の組成と比率は、いずれも一般的な製薬技術である。また本件特許928明細書には、医薬組成物が即時放出錠剤剤形で製造された場合の単一実施例しか記載されておらず、他剤形で製造した比較例が記載されていないため、前記医薬組成物が即時放出錠剤剤形である時により優れた効果が得られると証明することができない。さらに錠剤の粒子径、補助剤の組成、補助剤の比率が異なることで、効果にどのような差があるかを示す比較例も記載されていない。剤形の選択、微粒子化粒子径、補助剤の組成と比率は、いずれも医薬組成物の効果向上に関するもので、当業者であればこれらの調整は容易であり、慣行的実験における簡単な選択により完成することができる。

進歩性が肯定される方向に働く要素としての商業的成功について

Bayerは本件特許2件が進歩性を有することの理由として、特許医薬品「蕾沙瓦膜衣錠(ネクサバール錠)」が本件特許016及び928に係る発明であること、前記医薬品が2015年に国内売上第7位と商業的成功を得ていることを挙げている。しかし、進歩性が肯定される方向に働く要素としての商業的成功といえるためには、当該成功が販売テクニックや広告宣伝といった他の要素によりもたらされたものではなく、発明の技術的特徴から直接導かれたものであることを要する。特許医薬品の販売状況は少なくとも妨害特許の存在、十分な資金力、病院内での医薬品販売という3つの要素が関連している。また豊富な資金を有する製薬メーカーであれば、臨床治療用特許医薬品の販売可能性を高めることができるため、Bayerの主張は認められない。

弊所コメント

本件は、知的財産及び商事裁判所がANDA訴訟において後発医薬品メーカーによるParagraph IV声明の主張を認める判決を出した初めての事件で、今回の判決は台湾後発医薬品メーカーを強く鼓舞するものになると思われる。パテントリンケージ訴訟の場合、裁判所は原告の提訴から1年以内に一審判決を出すことになるため、審理は集中的かつ迅速に行われる。よって、後発医薬品メーカーは特許権者からの提訴に対する対応策を予め準備しておく必要がある。このほか、台湾の特許権侵害訴訟の審理手続きによれば、通常裁判官は原告・被告に対し最初の口頭弁論時までに争点整理をするよう求める。また、後発医薬品メーカーが原告の特許権に対して無効事由が存在することを主張する場合、後発医薬品メーカーは2回目の口頭弁論の際に無効事由に対する証拠を全て提出し、証拠の組み合わせを決定しなければならず、その後は新たな証拠を提出したり、証拠を組み合わせたりすることができない。よって、後発医薬品メーカーはParagraph IV声明を主張するにあたり、事前調査及び無効成立の可能性を入念に分析し、できる限り早く関連証拠を揃え、証拠の組み合わせを決定する必要がある。

本件においてBayerが敗訴となった原因は、結晶多形の選択、結晶多形Iの製造方法、剤形の選択、微粒子化粒子径、補助剤の組成と比率といった発明の技術的特徴が先行技術に対して予期せぬ効果を奏することを証明する実施例及び比較例が明細書に記載されていなかった点にある。台湾の裁判所は特許庁よりも特許の有効性に関する判断基準が厳格であるため、医薬品特許訴訟において、実施例及び比較例が不足する明細書から発明の進歩性の根拠を見出せず、特許権者が敗訴となるケースも多い。

このほか、本件は結晶形特許に関するものであるが、通常結晶形特許で定義された化合物はすでに先行技術で開示されている。薬物の特定結晶形が安定性、純度、生物学的利用能、溶解性、保存性などをもたらすという技術的効果も、当該分野では周知の事項である場合が多い。よって進歩性の主張が認められるには、発明に係る結晶形が先行技術から予期できない効果(質的変化)を奏する、又は先行技術に対してより顕著な効果(質的変化)を具えることを証明する必要がある。技術的効果の説明は実験データに大きく依拠するものであるため、結晶形特許出願における実験データに対する要求は一般的にやや高い。したがって、製薬メーカーが結晶形特許の出願をする際には、発明が奏する技術的効果を重点的に記載する必要があり、また前記技術的効果は十分な実験証拠により裏付けられているものでなければならない。

キーワード:台湾 特許 新規性、進歩性 判決紹介 化学 無効審判 侵害 医薬

 

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